自分らしく
昨年は、
日本心理臨床学会のWeb大会の自主シンポジウムをたくさん見ていたなと、なんだか結構昔のことのように思う。
やっぱり子どもがいると生活は変わる。
充実はしているけど好きに使える時間は少なくなった。
それでも忙しさの中から時間を捻出して、勉強なり趣味なり、仕事と家事以外のことに一生懸命とりくんでいる社会人はたくさんいるんだろう。
とりあえず関心のある自主シンポジウムに付箋だけ貼りまくったけど、
今年はあまり見れないかもしれない。
そんな中、今日は流し聞きでも仕方ないと思いながら、ひとつ聴講した。
博士論文を書くことというテーマについてのシンポジウムだった。
詳しい内容は控えるが、
臨床家としての自分と研究者としての自分の両立の話だとか、
査読されることの苦しさや傷つきといったリアルな話が語られていて、とても分かる、と思った。
それに、研究を続ける意義とかモチベーションとか、学位論文を世に出すことの意味といった根本的な問いかけもあり、
今の自分にとって非常に刺激的で、
勇気づけられるような、足のすくむような想いで聞かせていただいた。
なんのために論文を書くのかというのは、本当は根本的な問題なのに、とりあえず進むためにはいったん置いておく必要もあるようにも思う。
突き詰めれば、科学とはなにか。その中での臨床心理学とはなにか。という大きすぎる問いに発展していくので、
まだそんな問いを抱えきれるはずもなく、まずは自分の半径数メートルの関心事から出発するしかない。
むしろ何も知らない学部2年くらいのときのほうがよっぽど臨床心理学とはなにか、とかカウンセリングとはなにかみたいなことと真正面から向き合っていたかもしれない。
その時に出せる答えがたとえ今から見たら浅かったとしても、若い時に多少の万能感を携えながら何かに打ち込むということは貴重だったかもしれない。
思えば私が今取り組もうとしてるテーマを見つけたのは学部3年のときなので、
もう10年近く経っている。
当時の自分には申し訳ないけれど10年間で大して進んだ気はしない。
ちょっと遠回りしていたので。
でもちゃんと帰ってきた…ちゃんとというか、渋々というか、いや覚悟を決めてというか。
一言では言い表せないけれど、ともかくもう一度そのテーマに戻ってきたという事実がある。
シンポジウムの中で、学位論文を出すということは「主張する」ということであると言われていてハッとさせられた。
研究である以上、いかに正しさ(例えば算数で1+1が2であるように)に辿り着けるかが重要だと思っていた。
いや正しいに越したことはないのだが、
書く、そして公に出すということを通して自分が何を他者に伝えたいのかということも考えるべきなのだろうと改めて気付かされた。
私は今、いろんな角度から一つのテーマについて考えている。
よく「多角的なアプローチが必要」とか常套句のように言うのだが、
本当に多角的にアプローチしようとしていると思っている。
その結果、どれもが中途半端な考察になってしまったら嫌だなとは思うのだが、
きっといつかそれぞれのアプローチで得られた知見がひとつの筋となって、
最終的に、あぁ自分が主張したかったのはこういうことなんだなというところに辿り着けたら嬉しいと思う。
険しい道程であって、
精神力は求められるが、
自分に与えられた試練(という言い方はあまり好きでないけれど、他にしっくりくる言葉はあまりない)だと思って、
私は私の競技を走るだけだ。
なんて、
やや高揚と焦燥感を抱いた夜だった。
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