掛け合わせ
研究とは、掛け合わせである。
自分が勝手に思っている仮説と、先行研究での知見との掛け合わせ。
直観とエビデンスの掛け合わせ。
質と量の掛け合わせ。
夢と現実の掛け合わせ。
私と他者の掛け合わせ。
目指すところは未来への示唆である。
そこにオリジナリティがあればなお良い。
そんな論文がいつか世に出せるだろうか。
飲食店が割と多い地域に住んでいる。
一人で晩御飯を食べてくるという日は、いろいろ選択肢があって迷う。
先日は、カレーを食べに行こうと思っていたのだけれど、
なんとなく変更して、結局ハンバーグ屋に行くことにした。
カレー屋なんて歩いても行ける場所にあるし、いつでも食べられる。いや、ハンバーグ屋も車を使えばそんなに遠くはないのだけれど、
あぁそういえば最近行ってなかったと気づいてからハンバーグの気分になった。
それで気づいたらハンバーグ屋に入って、
頼むのはいつものチーズバーグディッシュでいいかと思っていたが、
カレーバーグディッシュがあったので、反射的にそれを頼んだ。
いや、カレー頼んどるやないかい。
お前は今日はハンバーグに決めたのではなかったのかと、自分にやや呆れるというか、往生際の悪い行為だなと思いながらも、そういう選択をした。
そしてカレーバーグディッシュがテーブルに届いて思った。
これはカレーでもありハンバーグでもある。
だってライスもあって、そこにカレーが既にかかっている。ハンバーグにも殆どかかっている。
これは一体どちらがメインなのだろうか。ハンバーグ屋だから、あくまでハンバーグが主役だろうか。味はかなりカレーが持っていっているような気もするけれど。
とにかく、カレーでもありハンバーグでもあるという言葉が一人脳裏に浮かんで、なんだか面白く感じた。
そういえばカレー屋にもハンバーグのトッピングがある。
カレーという分野からもハンバーグに接近しようとしているよな、と思った。めったに頼まないけど。
でもあちらのハンバーグはそんなに大きくないし、あくまでカレーライスの上にトッピングされているから、主体はカレーなのだろう。
どうでもいい話だ。
でもこれは、AというジャンルとBというジャンルの掛け合わせであるという点で、研究と似ている。
掛け合わせるということで新しい味が出来るし、届けられる対象がひろがる。
自分が食べたいもの、
論じたいものがあるとして、
既存の方法論が複数あるときに、
どれを主軸にするかで悩みながらそれを作り上げていく。
どちらから接近するか、ということであって、いずれは一つの終着点におさまることになるのかもしれない。
いや、収めないといけない。
いま書いている論文がまさに、
Aという方法論をBという大きな分野の中に位置づけようとするものである。
AとBの掛け合わせを狙っているのであるが、結局のところどちらに主軸があるのかと読者を迷わせるような曖昧なものでは新しい知見としては簡単には納得してもらえないだろう。
カレーバーグディッシュは、どちらかというと、ハンバーグだった。
それは何故なのか。
シンプルに、ハンバーグ屋の中で食べたからかもしれない。
自分がどのような分野の中に位置づけられ、
どのような属性でいて、
そこには他に誰がいて、
その人たちは何に関心を持っているのか、
そういうことを知っておかなければ、
美味なものは作れないのだろう。
AとBは時に対立しているように見えることもある。
矛盾したものを掛け合わせる無謀さ。
その無謀さから逃げずに第三の道を切り開いていく必要がある。
と書いていて、研究だけでなく臨床の世界もそうだと思った。
掛け合わせること、接近すること、統合すること。
そこに旨味があると予感しながら、引きこもっているのは良くないことなのではないか。
と書いていて、あまりに真面目すぎる、と俯瞰した。
ハンバーグがほぼカレーだった。
そんな極めてミクロでどうでもいい話を、覚えておきたかっただけである。
でもなにか、大切なことのように感じた。忘備録。
今度カレー屋に行ったら、新しいトッピングに挑戦してみよう。
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