前に進め

一人でバーに入るというのが憧れでした。

あまり大勢で過ごしたり飲んだりするのが得意ではなく、
少人数かサシで飲む方が好きです。
今では深い友情を持った友人との関係は、思えば、二人で話すようになってから変化してきたもののように思います。

中学校の頃、大勢の中で見たときにはいけ好かなかったあいつは、
なぜか今親友になっていて、
自分の強いところも弱いところも知ってくれている、そんな相手がいます。
もう人生やめたいと思ったとき、
友人と語り合うことで、前に進めることがあります。



人はそれぞれ事情を抱え、平然と生きている
作家、伊集院静の言葉です。
この言葉と出会った時がいつなのか、
明確には覚えていませんが、
当時、社会から取り残されているような隔絶感、孤独感に苛まれていた自分には響きました。


人は生きれば生きるほど、
当たり前ですが、他の人とは違う体験を積み重ねていくわけです。
同じ学校で同じこと勉強して、
同じ音楽聴いて同じ漫画読んでた奴らが、
高校くらいになると段々それぞれ別のことし始める。
それまでも、本当は学校から家に帰ったら別のことしてただろうけど、
子どもの頃はそんな想像力が無い。
そうしていくうちにもう卒業で、
本当に別々の人生へ分かれていって、
気づいたら疎遠になっていく。
隣に並んでいたと思っていた友人よりも就職が遅れたり、出世が遅れたり、結婚が遅れたりするだけで、
なんだか、こんな孤独は子どもの頃には感じなかったのになあという。


小学~高校時代の同級生は、殆どは疎遠になりましたが、
一人だけは、高校卒業してから夢を見つけられずに腐ってた時代の自分も、夢を見つけたその後の自分もよく知ってくれている友人がいます。


人は生きれば生きるほど、
身の回りに起こる大小様々な事件や事故をくぐり抜けて成長していくので、
本来、自己紹介というのは複雑になり、簡単ではなくなっていきます。
分かって欲しい事情は増える一方ですが、
社会ではいちいち自分の人生をこと細かに説明した解説書を持って配り歩くわけにはいかないので、
結局、自分という人間を名刺サイズにおさめて、本音は建前の後ろにかくして、
平然と生きている方ばかりでしょう。

このようなことを考えていると、
本当に人は孤独だなと思います。
自分の事情は自分のものでしかなく、
自分の課題は他の誰が解決してくれるものでもありません。

そんな孤独な人生の中で、
説明しなくても事情を知ってくれている、
と思える友人がいることは貴重なことだと思います。
その人の前では、平然を装う必要が無いのです。


先日、社会人になったこともあり、
やっと憧れだった“一人バー”デビューしました。

そこで名前も知らない、たまたま隣に座った人生の先輩と飲み、
気づいたら楽しく本音を語り合っている自分がいました。

知らない相手だからこそ、
建前の必要が無いこともあるのだなと、
実感しました。
そのバーでの夜に、“平然”はありませんでした。
この世には、本音で語り合える相手が、
昔からの知り合い以外にも存在し得るのだと思わせてくれました。


人の孤独は解消されませんが、
本音で苦しみや夢を語り合える人がこの世に一人でもいるだけで、孤独感は解消されることがあります。

いつかはきっと報われる
誰かがきっと見ている
と自分に言い聞かせても信じ切れない、
孤独感に押しつぶされそうな時期があっても、
きっと誰かと語り合って、
また前に進める時がくるはずです。

大好きなクリープハイプの曲を載せて、
今日は筆を置きます。

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