悩むということについて
『火花』が、今度は映画になるのですね。
観たいような、観たくないような。
と、こんな気持ちになるのは、
Netflixで配信されていた(最近NHKでも放映されたようでしたが)
ドラマ版の『火花』を観たからです。
むしろ、原作をまだ読んでいないという。
とにかく昨年はNetflixのドラマ『火花』に感動しすぎたので、まだ浸っていたいのです。
『火花』のあらすじは説明不要というか、
内容に細かく触れるのは止めておきますが、
叶う保証のない夢を追うことの苦しさ、
その過程で起きる奇跡的な出会いの素晴らしさ、なんともならない人生の
・・・なんといえばいいのか、
“なんともならなさ”としか言いようのない現実。
そういう、私たちが生きていて、もやもやと感じているんだけどなかなか言葉にできないものを映像作品として創りあげたドラマ『火花』のスタッフたちは、本当に素晴らしいなと想いながら観ていました。
原作者であるピースの又吉直樹さんは、
私の大好きな芸人の一人です。
小説ではないのですが、
又吉さんの『夜を乗り越える』という本に、
こう書いてあります。
正解、不正解だけではなく、どうしようもない状況というものが存在することを知って欲しい。
世界は白と黒の二色ではなくグラデーションです。二択ではありません。二次元ですらありません。それを表現するために言葉があり、文学があります。
多分、ここの部分を読んだときの私は非常に共感し、感動したのでしょう。
ふせんが貼ってありました(笑)
人間はきっと、
左か右か、0か1か、白か黒か、
岐路に立って、どれかの道を選ぶしかないと思ったとき、
そしてそれが簡単ではないときに、
悩むという状態に入ります。
簡単でないときというのは、
その道の先に何があるか見えないとき、
つまり、分からないときです。
サーティワンアイスクリームに行き、
いつも食べている抹茶のフレーバーを選ぶのか、
それとも今日は期間限定の少し怪しい色のフレーバーを選んでみようか。
食べたことのないフレーバーは、
味が分かりませんから、不安なのです。
もっとも、サーティワンでは、
新しいフレーバーです、と言って店員さんがスプーン一口サイズの味見をさせてくれますし、それで買ってみようかとなったり。
買って、もしおいしくなかったとしても、
まぁ数百円の損でしかありません。
突拍子もなく身近な例を出してみました。
しょうもないようですが、これも人間の悩む姿の一つだと思います。
毎日アイスのフレーバー選びに悩んで暮らせるのならハッピーかもしれませんが、
人生には、数百円の損ではすまない、もっと大きな影響を持った選択肢に直面しなければならない場面が待っていると思います。
私には最近、今の歳になってようやく、
こうなりたいという夢みたいなものが出来たのですが、
それが達成されるかされないか、
本当にそれを目指すことが正しいのかどうか、ということを考え始めると、
その保証のなさ、答えのなさに気づいた後、
不安が押し寄せてきます。
人にとって、
分からないという状態を続けることは、
とても怖く、苦しいことだと思います。
進学や就職のときは、
理想の選択肢が自分の中に用意されている人ほど、悩むのではないでしょうか。
就職活動では情報収集や業界研究が大事だと言われますが、インターンやOB・OG訪問というのは、サーティワンでいう一口スプーンの味見のようなものなのかもしれません。
全部は分からないけど、でも、多分こんな味なんだな、と折り合いをつけて、
最終的には一つを選ぶのですから、
人って凄いですね。
悩むというのは、確かに苦しい作業です。
いくつかの国語辞典で引いてみると、
【苦しむこと】【思い煩うこと】とありました。
ですが又吉さんは、この、
悩むという行為を肯定してくれています。
白はどちらで黒はどちらか、
分からないなりに悩むことは必要だと。
悩んで選んだ先で、
そもそも世界は二色ではなかったと、後から気づいたりもできる。
確かに私も、
その時は分からなくて苦しかったけど、
あの時こっちを選んで結果的に良かったなと思えることがあります。
過去の選択に対する後悔の念に支配されることは、最近では少なくなりました。
きっと悩むという行為の先には、
“他の誰でもない自分が苦しんで選んだのだ”
という〈主体性〉が特典としてついてくるように思います。
悩んでは選び、悩んでは選びを繰り返すことは、“自分らしさ”を形作っていくことに繋がるような気がします。
では、夢や希望や理想の無い人は、
どうすればいいのか?
岐路に立つもなにも、道自体が無いように感じられる人は、
どうやって悩めばいいのか?
数年前の私自身の状態がそれでした。
実はこのことこそが、私の卒業論文のときからの研究テーマになっており、思い入れのある概念だからこそ今回の記事は書くのが難しく感じました。
“悩む”とか“悩めない”ということについては、
また角度を変えて、これからもここに書いていきたいです。
『火花』について書こうとしたら、
思わぬところへ行き着きました。
ハッピーエンドやバッドエンドの作品が多い中で、なんとも言えない、
まさにグラデーションの中を、観る者に泳がせるようなラストシーンの作品ってたまにあります。
少しの加減で、結局何がいいたいの?という批判に繋がりそうな曖昧さにあえて挑戦する作品が、
私はたまらなく好きです。
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