リセットの無いRPG
最近何故かよく、昔の自分に戻った夢を見ます。
小学生に戻ったり、高校生に戻ったり、
夢の中で当時仲のよかった友人や好きだった異性と再会できて、
目が覚めたときに懐かしい気持ちになり、
もう少し見ていたかったと思うような。
そして、もうあの頃には戻れないのか、
と、歳を重ねた現在に切なくなります。
何故過去に戻った夢を立て続けに見たのか意味はよく分かりませんが、
もし人生をやり直せるならという誰かからの問いかけのようにも思えました。
人に自慢できるような人生を送っていれば、
自分で自信をもてるような今を生きていれば、
もしやり直せるならなんてことは考えないかもしれません。
今に満足できてないから、過去に責任を押しつけてしまうのかもしれない。
一つ、焦りをもたらすのは、
やはり「年齢」です。
20歳を越えれば、後は若さというものから遠ざかっていく一方で、
“若いから許されること”や“若いから挑戦できること”というのが段々と失われていく感覚があります。
そして、20代も後半になれば、
結婚して子どものいる同い年がいたり、
一つの仕事に就いて一人前になっている同い年がいたりするわけで、
どうしてもそれの無い自分と比較して劣等感を覚えてしまうのです。
しかし結局はそんな劣等感や焦りは、
ないものねだりから生まれるものだと思います。
自分にはあの人と比べてあれがない、これがない。子どもの頃に思い浮かべていた未来と比べて今はあれがない、これがない。
人生を点数で、100点満点からのマイナス計算で、考えてしまうのです。
でも、どんなに人に自慢できないような、履歴書に傷が付いたような人生でも、
今までの自分がその時々に苦楽して選びとった結果の積み重ねであることに違いありません。
この人生を歩んできたからこその自分の今の価値観や、出会った人たちというのは、誰にも奪われることのない財産です。
もし今が問題ばかり抱えていて苦しい毎日だとしても、その問題はいつか解決されるものかもしれませんし、その問題を解決したときは今の自分よりもレベルアップした自分になっているかもしれません。
人生は本当は100点満点ではなく、天井のない経験値制なのだと思うのです。
もし、就職活動に戻って、
あの会社ではなくあの会社に入っていたら。
もし、高校生に戻って、
理系ではなく文系を選択していたら。
もし、勉強ではなく、部活に力を入れていたら。
もし、この家に産まれていなかったなら。
過去に戻れば、
未来の可能性は無限大にあります。
ですが、どれを選んでいたとしてもきっと人生のどこかで、
他人の人生を羨んだり、自分の人生にけちを付けたりする時があるのだと思います。私の性格という根本が変わらない限りは。
だから結局私は、
この人生で仕方がない、
というところに行き着くのです。
仕方がないから、どうでもいいやと投げ出すのではなく、
仕方がないから、この道を全うしよう、と前向きになれれば少しは良いのではないでしょうか。
(実際には、いつもポジティブにはいられませんが。)
昔の自分を思い出して、
懐かしい気持ちに浸ることは全く悪いことではないはずです。
ただ、過去に捕らわれ、今の自分を低く評価しすぎるくらいなら、
「仕方がない」、と笑った方が楽だった、というお話でした。
人生のやり直しというテーマについて、
藤子・F・不二雄の作品を紹介している記事があったので、リンクを載せておきます。
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