悩むためのコンディション

また、なかなかブログを書くことができずにいましたが、
気が向いたので書いてみます。


私は、考えや気持ちを文章にするのに、
最終的には少しでもポジティブな方向に落とし込みたいと思うのです。

つらい、苦しい、悩みが消えない
ということだけを書き連ねることもできますし、
もしかしたらそれを誰かに見てもらうことだけでも一時的にスッキリできるかもしれません。
しかし、それではTwitterと同じです。
ブログのように文字制限の無い場所では、
なるべくTwitterではできない表現がしたいと思ってしまいます。
つらい、苦しい、と叫ぶだけではなく、その叫びにフォーカスしてみることで新たな気づきが得られることがあります。
文章としての論理性、一貫性、物語性を持たせることで、心の状態を理解するだけでなく、自分の考えをまとめることができます。
面白いのは、自分の考えがまとまってきた瞬間に、元々の心の状態に変化が起きることがあることです。
Twitterの140字ではこの作業は難しく、だから私はこのブログを消さずにいます。

ただ、この作業をするのには少しエネルギーが入りますし、
ポジティブな意味付けをするためのコンディションが必要なのではないかと感じます。(自分にとっては)

なかなか最近は、
この“ポジティブな意味付け”をする自信が持てずにいて、
モヤモヤと抱えている問題がありながらも、
それにフォーカスしようとするエネルギーが沸いてこない日々が続いていました。

私は、この、
心にフォーカスするという作業に際してのコンディションのことを、
・悩める
・悩めない
・悩まない
の3つの言葉で考えてみています。

人は、
とりあえずは自分は、としておきますが、
悩める、悩めない、悩まないの3状態をいったりきたりしているのではないかと思うことがあります。
そしてそれは、ある程度、コントロールできるものなのかもしれませんが、行ったりきたりするという前提があるならば、あえてコントロールしなくてよいものであるような気もしています。

もし、私が自分の心に深くフォーカスするブログを毎日アップしようとしたら、
それは出来ないことはないかもしれませんが、
ある意味、自分のコンディションを無視しているように思います。
何も出てこないときには出てきませんし、
文章の書き出しのきっかけとなる心の状態(気持ち)に向き合いたくない時だってあるのです。

悩めるときには、悩む。
悩めないときには、無理に悩まない。
悩まないときは、そのまま楽に過ごすだけ。

その時のコンディションに合わせるというのが、
今の自分には合っているような気がします。

問題なのは、
3つのコンディションを行き来できずに、(またはバランスが崩れて、)
悩めないという状態だけが長く続いてしまう人であり、
それがいわゆる「悩めない若者」の特徴なのではないかと、今思いました。


悩むという作業、あるいは心にフォーカスするという作業は、
私は生きていく上で必要だと思います。
自分が悩んで答えを出さなければ、いつまでも解決されない問題というのが人生にはあると思うからです。


さて、書いているうちに、気づけばこの「悩むためのコンディション」という視点に行き着きました。


やはり、
悩める状態の時に、表現しようとしてみるというのは、大切なことなのかもしれません。

この記事の冒頭に書いた、「気が向いたので」というところが、おそらくミソなのです。



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