やっと読みました

実を言うと、最近になって気づいたのですが、

私は本を読むのが苦手です。


大学院を出て、「研修」ではなく「仕事」として心理臨床をはじめて2年ほど経ちます。

その間、私はほとんど読書をしてきませんでした。

自己研鑽から明らかに遠ざかっていました。


学生時代は本を「買う」のが好きでした。

「読む」のが好きなのではなく、「買う」のが好きだったのだと今では思います。

本を買うことによって何か自分の中の厳しい自分(いわゆる超自我というものなのかもしれません)が、未熟な自分をなんとか無意識的に許していたのではないかと思うのです。

とにかく20代の私は、自分が未熟であることを意識するのが怖かった。そのことに気付いてすらいなかったと思います。

それが30代になって、本格的に心理臨床の「実務」にあたるようになって、

今度は自分が未熟であることが、はっきりとではないけれど少しずつ意識されてきた。

そうするとやはり、更に意識することは怖くなり、あまり仕事のことを真面目に考えないようになりました。

人生の比重をプライベートに置いて、とにかく自分が健康であることに務めました。

仕事を全力でやろうとすれば、自分の健康が害される気がしていたのです。

それくらい、この仕事がどこまでもハードになり得る営みだということだけは理解していたからです。


最近になって、カウンセリングのスーパービジョンを定期的に受けるようになりました。

自ら望んだとは言い難く、そうするしか仕方がない状況でありました。

今受けているスーパービジョンではより深い内面の考察や、カウンセラーである私自身の心の動きについて直面させることが増えてきました。それは大学院のときに受けていたスーパービジョンとは質が異なるものでした。

その中で最近、自分の中の厳しい自分(超自我)が目を覚ましたような気がします。

臨床に正面から向き合わなければいけない(向き合いたい)という気持ちと、自分の未熟さを直視したくない気持ちが戦うようになりました。

正直言うとこれが辛く、他の職場の同僚に相談したほどでした。(他者に相談できるようになったのはここ数年での数少ない自分の成長だと思っています。)


しかし、不思議なことにこの辛さが生活の中にやってきたのにも関わらず、

私は自ら研修を申し込んだり、ずっと読まずにいた本を読み始めたりしました。

ついに研鑽することから逃げられなくなったのです。


その中で私は、本を読むことが苦手であったことに気が付きました。

なぜ私が本を読むのが苦手なのかというと、それは、何か勉強するならば必ず自分のスキルアップにつながらなければ「ならない」と思っているからです。

つまり、私の中の強迫的な傾向が関係しているのだと思います。

なので、これまで取っていた選択は、1ページも読まないか、全文字に集中力を注いで読み切るかの両極端しかなかったのです。

私にとって読書は、だからハードルの高いものだったのか、と今になって気づいたのでした。


家にはそれなりの数の心理臨床に関する書籍があります。

わざわざいただいたものもあります。

私は今、それらを少しずつですが読み進めています。

100%理解して、さらにその後も内容覚えてなければいけない。

そのように考えてしまうと何も読めなくなってしまうので、

現在の自分で吸収できる分だけで良い、と思うようにしています。

それでもまだ難しいのですが、自分の性質に気づいただけでも何かが変わった気がしました。


カウンセラーの倫理に関する本を読みました。

普段の自分の行いが浅はかに思えて、読んでいて苦しくなるような思いもしましたが、

最後まで読んだ今は良かったと思います。

カウンセラーであることを考え続けるのは今の自分にとっては大変な作業ですが、

迷うこと自体は間違いではなく、むしろその作業こそ要所で重要になってくるのだと感じさせられました。

中堅になって再読したらまた違ったことを感じさせられるのでしょうか。




ともかくあまり焦らず少しずつ積み重ねていこうと思います。

そんな自分を許せるようになること。それも自分の課題なのでしょう。


毎週のように会っていた人たちとの別れが続き、どこか喪失感もあり、何か書きたくなりました。久しぶりに考えながら書きました。不思議です。

また、プライベートがそれなりに充実しているからこそ、仕事の優先度や重要度が見えなくなって来ていたかもしれません。

このあたりで新年度に向けて区切りをつけたかった自分もいるような気がします。

新しい仕事が始まります。仲間と共に、ぼちぼちやっていきます。

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