心は見えない
臨床心理学を勉強しているとかこれから心理の院に行くとか話すと、
メンタリズムと勘違いされることや、
若い子だと心理テストやって~などと言われることが多々あります。
しかし、私はそういった類のものはこれまで全くといっていいほど勉強してこなかったですし、これからもあまり力を入れて勉強することはないと思います。
いつも私が答えることは、
臨床心理学は、心を読む学問ではない
ということです。
さて、今日はいつも以上に言葉に気をつけて書かないといけないテーマです。
心理という言葉がつくだけで勘違いされやすいところなので、
このことだけは心理学科を卒業した者として伝えたいのです。
メンタリストのDaiGoさんがメディアに登場したことで、
心を読むことは可能なのだという世間の印象に加速がついたのかもしれません。
アメリカではメンタリストというドラマがあるほどで、どれほど浸透しているか知りませんが、
DaiGoさんは日本で唯一のメンタリストで、
超特別な存在です。
例えば、仕事・友人・恋愛・家族・お金と書かれたカードを並べて、
会話の中で相手の表情や仕草などから推理し、重要だと思っている順を完璧に当てる、というようなパフォーマンスをテレビ番組でよく見たことがありますが、
心理学を学んだらああいったことが出来るようになるかと言えば、まず不可能に近いです。
それだけDaiGoさんはすごいということですが、
そもそも臨床心理学を勉強するために大学院を志す人たちは、そこを目指していません。
臨床心理学とは、
人の心を読む学問ではありません。
むしろ人の心が分からないからこそ、
分かろうとして真摯に相手の話を聴いていく。
その中で、相手が語り始め、自分で問題に気づくようになる。
むしろ積極的には人の心を読まない学問と言ってもいいかもしれません。
これは勝手な自分の考えで、考え方は色々あるので鵜呑みにはしてほしくないですが。
あなたの心はこういったものですと分析結果を伝えただけで悩みが解消されるのであれば、
きっとカウンセリングという仕事は将来、
ロボットに奪われてしまうでしょう。
カウンセラーがロボットでなくて人でなければいけない理由は、
私とあなたという関係性の中で語りが生み出されるものであるという個別性を重視するからです。
いま思いましたが、
カウンセリングロボットなるものが出来たとして、
性能の悪いロボットと性能の良いロボットがあったらそれは個別性と言えるのだろうか?(笑)
正直、今のスマートホンのような機能を持ったものが登場することなんて、20年前には想像もできませんでしたので、
かなり傾聴する力の搭載されたカウンセリングロボットが20年後にある可能性だって、
無くはないですよね。
そもそもロボット自体、どんどん人工知能が進化していって、最終的には生き物と見なされる時代がすぐそこに迫っているのかもしれません。
血の通っていないロボットであっても、
カウンセリングは可能でしょうか。
結局は、“心”があるかどうかだと思われます。
しかし、心をロボットに搭載することは今のところ不可能です。
心を作ることはできません。
なぜなら、心理学の歴史は、行動を対象に研究を続けてきた一方で、
心そのものの存在は明らかにしてこれなかったからです。
逆に言えば、心というものが不確かすぎて、目に見える行動を研究対象にするしか術がなかったのです。
さて、心理学の中でも特に臨床心理学という学問は、
科学の知よりも臨床の知を優先することがある、稀有な学問です。
つまり心というものが実物として証明できなかったとしても、
カウンセラーが心を大切にして関わった結果、問題が解決されたなら、それは臨床として有用であるということを言って良いのです。
精神分析で有名なフロイトが発明した、
“無意識”という概念も、
未だに科学では説明がつきませんが、
それでも多くの人が依拠して使っている概念です。
臨床心理学は、
心を明らかにする学問ではないということ。
これを3分で人に説明するのは、難しいことですし、3分で語ってしまったら、他の臨床心理学者たちに失礼ではないかという気持ちすらあります。
カウンセラーを目指しているというだけで、
「ばったもん」と言われたこともあります。
その方は別に悪い人ではないので、半分冗談だったと思いますが、
重要なのは、半分しか冗談じゃないというところです。
私たちは、プログラマーや医者など、目に見える科学を扱っている人たちに対して、“ばったもん”だとは思いませんから。
何か良い説明の仕方があったら、
教えて欲しいものです。
ただ、どれだけ人に不信がられようが、
私はこんなに面白い学問はないのではないかと思っています。
0コメント