託してる。
よく見たことのあるサッカー選手と実業家が続けて急逝したと知りました。
2人とも20代でした。
まずは御冥福をお祈りします。
残念です。
命について考えました。
私は今、論文を書いています。
それと並行してブログもこのように書いています。
人の表現能力には「話す」「書く」「アートする」などがありますが、
私は話すことが苦手なのではないかと年齢を増すごとに感じています。
(伝えたいことにぴったりとくる言葉がすぐに出ない。あとでこう言えばよかったと反芻する)
書くというのは、基本的に自分のペースで考えさせてもらえる時間が与えられるので、
話すよりも自分の性格には適しているのだと思います。
書くことで気持ちを整理し、さらに今まで気づいていなかったことを新たに発見することができます。これは自己理解や自己実現に役立ちます。
つまり〈自分のために書く〉ということをやっているという側面がまずはある。
また、「書く」ということは即ち「残す」ということです。
論文は学術の世界に知を残すということで分かりやすいですが、
ブログであったり、全てのSNS、個人間のメールやチャットでも、その人の考えや感情をそこに残していっているのだと思います。
個人の覚書ではなく、なぜオープンアクセスにする必要があるか。
最近は、〈誰かのために書く〉ということもそろそろ考えてもいいと思うようになってきました。
自分の表現を残すという行為は、自分に自信満々な人であればあまり気にならないのかもしれませんが、私のように自信が上下するタイプの人間には実は結構ハードルの高いことです。
振り返れば私は割と明確に書ける時期と書けない時期がありました。
書くことで前に進める時期と、書くことの恥ずかしさや苦しみから逃げたい時期とも言えます。
ただ、とにかく今は書いています。何がそうさせるのだろうか。
私は最近、「託す」ということについて考えているようです。
きっかけは漫画の『チ。―地球の運動について―』を読んだことが大きいと思います。
「託してる。」というセリフがあり、そこはまさに自分には達成できない使命を次の人に預ける、委ねるというシーンなのですが、私たちは過去の人から託されてきた世界に生きているのだなということを改めて考えさせられました。
もっと印象的だったのは、ヨレンタというキャラクターが語った「(文字が読めるということは)まるで奇跡」という言葉でした。
ヨレンタが言うように、今の自分とはかけ離れた場所や時間にいる人の考えていたことを知れるということは、確かに考えてみると奇跡的なことかもしれません。
そしてその前提には文字が読める/翻訳してもらえることがあります。
文字を読めるなんてことはこの国に産まれた自分にとっては当たり前で、深く考えたことがありませんでした。
朝起きてから夜寝るまで、生活には文字が溢れていますが、
それらの文字は誰かが書いたもので、そこには書いた人の意図や伝えたい意思があるのかもしれない。
それを想像することができるのも文字を扱えるからなんですね。
私たちは文字という共有可能な象徴を使って過去や未来の人とつながることができる。
ここで命についての話になりますが、
託せるときに託さないと後悔して死ぬことになるのかもしれないと思いました。
もっと立派にレベルアップしてから書物にまとめるというのでは遅いかもしれない。
そのため、拙いものでもよいので残していこうかと思います。
子どもが産まれたことで、託すということについてさらに考えさせられるようになりました。
別にたいしてこういう人間が育ってほしいとか考えて子どもを設けたわけではないのですが、
やはり産まれたからには何かに感動したり喜びを体験したりしてくれることを願うわけです。
そうすると世界の面白さを教えたり、それに触れる機会を与えなければならないという気持ちになります。
私は自分の人生はまだまだこれからだとは思っていますが、
一方で、自分の知識や知恵を他者に伝えるステージにも入ってきたように思います。
押しつけになってはいけないのだろうけど、先人から託されてきたものを次の世代に渡していくことも大人になるということなのかもしれない。
自分にとっては書くことがもっとも自然な「託し方」なのでしょう。
私は臨床心理士なので研究という形で自分の足跡を残すことも求められています。
しかし託し方は人それぞれでよいと思います。
生きているだけでも人は周りに影響を与えています。
自分らしい在り方で(ありふれた言い方ですが)
世界に関わっていくこと。
われわれが考えていることなんて宇宙から見たらちっぽけなことかもしれませんが、
人の心のなかにもまた宇宙のように広い世界があります。
託すことで、自分の証が誰かの心に残っていくということを考えてみることも、
なんだか意味のないように思える人生を生き続けるためには必要な局面があるのではないでしょうか。
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