揺らぎの中を
二重拘束。
悩むということは、
簡単に決められない苦しさの中に居るということ。
そんな難題は無かったように見せかける人もいる。
思い悩まないという方法はシンプルだけど、
その境地に辿り着くプロセスは決してシンプルではなかったはず。
悩んで、悩んで、もうこのへんで。というところで折り合いをつけていく。
苦しんだ自分、決められなかった自分を最後には赦す。
生活する上で葛藤は少ないに越したことはないとも思う。
穏やかに物事を進めていけたら、その分の余白でコーヒーでも楽しめるだろうに。
しかし穏やかな時期も、人生そんなに長くは続かないと感じているのは私だけだろうか。
ある人に言われたことがある。
悩みはその人の抱えられるキャパシティに合わせてやってくる。
だから今の悩みが解決したら、また次は次の自分に合わせた悩みがやってくるんだよと。
実際にそうだよなと思う自分と、本当に一生そうなのかと疑う自分がいる。
多くの人は悩みを解消したくて来談する。
こちらとしても主訴を訊く。解決像も訊く。
でも果たして綺麗にそれ(例えば精神症状、問題行動)がなくなればお終いなのか。
心理療法とは症状をとってしまうことだろうか。
きっともう少し違った意味がある。
つまり悩みがなくなること、というのは喜ばしいことなんだけれども、
ほどなくして次の悩みがあらわれるんですよね。ある人いわく。
人生にゴールがあるとして、それを達成したらその後は一切の悩みなく、
悟りの境地で死ぬまで過ごすなんてことは果たしてあるだろうか。
いや。やっぱりゴールはなくて、「僕達はまだ途中だ」(又吉直樹氏 近畿大学卒業式スピーチより)と思う。
本当の意味で肝要なところは、
いかに自分が“途中”にいるのかを知ることではないだろうか。
不安症の患者にはグレーを目指しましょうと言う。
不安は0にはならないということを分かってもらいたい。
ただそれを初回で心理教育的に教わるのか、
自分で内界・外界へ旅をしていくうちに自ずとたどり着くのがで、
きっとその受容的態度の定着の仕方は違う。
自分で悩むからこそ気づくことがある。
特に青年期。自己形成の大事な時間。
誰かが悩みを肩代わりしてくれたら楽だけど、ちょっと勿体ない。
人生の主役として、自分に責任を持って生きられるようになったら、
きっと付随的に主訴も変わっていくんじゃないかな。
悩むというのは若者の仕事だと思っている。
と最近カッコつけて言ってしまった。
悩んでないように見える若者が多く感じられて、
もっと悩めよという気持ちになったり、
反対に悩みすぎている若者に対して冷ややかに見てる人に対して
もっと悩む時間を大切にしてあげてほしいという気持ちがある。
青年期とのカウンセリングは面白い。
若い頃の自分を見てるようで放っておけないから、なんていう、ありきたりな理由は置いておいても、
青年がどうしようもない不安から逃避したり対峙したりしようとする姿は尊い。
自分が何者になっていくのか分からない、
それってとにかくどうしようもなく不安。
世の中に出たことすらないくせに世の中は厳しいところだと思い込んで、
叱られてもないのに罪悪感を抱く。
社会の様々な矛盾に触れるのもこの頃。
これって矛盾だよねと堂々と言えればよいけれど、
言語化せずに押し込めておくと、
お腹痛くなったり、頭痛くなったり、
なんだか無気力に陥ったり、ひきこもったりする。
そんな自分がこのままでは何か絶望的な未来に向かっているような気はするのだけど、
具体的に何が矛盾を引き起こしているのか、
ゆっくり向き合って話す相手や時間もなければ、
「なかったことにする」「みないふりをする」
ということの方が確かにひとまず安全なのかもしれない。
悩むのは若者の仕事だとおもう…
この言葉はもはや古臭いのだろうか。
わたしたちの「悩めなさ」(青年期だけではないような気もする)
は果たしてどこからきて、どこへゆくのか。
悩めなさを抱えたままで何が悪い?
アイデンティティが揺らいでいて何が悪い?
そんな質問がもし来たらなんと答えようか。
結局のところ、「悩む」ということがよく分からないという私の「悩み」は、まだ途中。
だから現時点でここまでは分かった、考えたということを整理していく必要がある。
科学は、アウトカムをとにかく重視する。
結局何がそれにどのくらい寄与しているのか、それをやることが何の向上に繋がるのかという。
アウトカムというのは例えば自己肯定感だとか運動量だとか。
しかし「悩む」ということについていえば、何をアウトカムにすべきなのだろうかと思う。
悩まなくなることなのか、悩めるようになることなのか。
「悩む」ことの価値をどう位置づけるかによって検証したい仮説は変わるのは当然のこと。
自分はいったい、悩むことの研究を通して何を明らかにしたいのだろうか。
そんなことを答えもなく考える毎日である。
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