意味のある出会い
出会いと意味について。
私は、私立の中高一貫のコースに通っていました。
やってはいけないと厳密に決まっていたわけではないのかもしれまんが、その中高一貫のコースでは部活もバイトもしている人はいなく、
よく話の掴みとして言っているのですが「8限まで授業がある」ような学校でした。
当時は世間を知らないのでそんなものかと思いながらやっていましたが、今思うと勉強漬けで、塾にいく必要がないくらい手厚い教育を受けていました。
高校2年のときには既に通常3年生までに習う学習内容は終えて、最後の1年は受験対策だけに集中できるようなカリキュラムでした。
これもまた話の掴みとして使うのですが、私は卒業式の次の日も学校へ行って授業を受けていました。
なぜかというと国公立を受験していたので、前期日程で受けた大学の結果がまだ出ていない段階で卒業式を迎えたのです。そのためもし前期で落ちていたら後期で別の大学を受けなければいけないという状況でしたので、
卒業とか関係なく後期日程に向けて受験対策をしてもらっていたわけです。本当に塾いらずですね。
(結局、前期で第一志望に合格していたことがわかり、無事解放されました)
もう少し勉強以外のことも経験しておけばよかったなと思ったりしますが、
今となっては全て含めて良い思い出なので、
母校に通ったことを後悔はしていません。
かけがえのない友人も何人かできました。
ただ上記のように勉強重視のカリキュラムが6年続いたので、勉強嫌いになってしまった同級生は結構いたように思います。
私も実はそんなに勉強自体は好きではなく、授業もあまり集中していないことが多かったように記憶しています。
なんとかモチベーションを落としきらずに受験を乗り切れたのは様々な要因があったのだろうと思いますが、
ひとつ、これは大きかったなと思うことがあります。
それは英語の教師との出会いでした。
当時、高校2年になる頃には数学や英語の主要教科では成績でクラスが分けられていて、
「グレワン」とか「グレツー」「グレスリー」という言い方をしていました。
つまり成績が高い群はGrade 1として集められて、ハイレベルな内容の授業を受けていました。
私は高校1年のときには英語があまりできなかったのか、高2の最初の時点では確かグレツー...もしかしたらグレスリーだったかもしれないです。
あまりやる気がなかったのだと思いますが、
そもそもそれまでの授業が楽しくなかったのだと思います。
高2になり、新しくその女性教師はグレツーの担当として私たちの前に現れました。50歳手前くらいだったと思います。
その先生は他の学校から赴任してきた人で、
私たちの授業態度などを見て早々に「あなたたちは温室育ち」「幼すぎる」と呆れた言い方で説教されました。
このクラスを立て直さないといけないと思われたのか、
英単語の小テストを毎日のように課されることになりました。
グレツーの人たちはやる気がなかったので、皆その先生のことを嫌い、陰で悪口を言っていました。
私はなんとなくグレツーにいることが自分にとってよくないことだと感じていて、抜け出さなきゃいけないと思っていたところでした。
中学の頃は特に成績が良い時期もあったので、下のクラスに入れられることに対して葛藤があったと思います。
皆が悪口を言うほど、いやな先生だとは私は思わなかった。
むしろ外の学校から来た先生から厳しい言葉をかけられることが新鮮で、どこか惹かれていたかもしれません。
どこか影のある先生でした。
あるとき先生は「本当に悲しいときって人間は涙なんか出ないんだよね」と話していた。どんな文脈でそんな話をされていたのか覚えていないのですが、
たまに授業の始めにそんな意味深なことを言うことがありました。
周りの生徒はそんなときも寝ていたり、他ごとをやっていました。
私は他の生徒のことは気にせず、
ひとまず英単語の小テストを頑張ってみることにしました。
小テストで良い点をとることでその先生に振り向いてほしかったのかもしれません。
埋もれてる自分を見つけてほしかった。
そして、やはり英単語というのはやればやるほど身につくものなので、ちゃんと結果が出ました。
ある日、授業と授業の間に階段の踊り場で先生に個別に何か言われたことだけを覚えています。
褒められたのだったか、もっと頑張れと言われたのだったかは思い出せないのですが、
授業以外の先生は少し喋り方が違って、なんだかいつもよりもう少し人間味がある感じがしました。
そして私は英語の成績を伸ばすことに成功し、
高3の時にはグレワンに上がることになりました。
英単語の意味をとにかく覚えること、
たったそれだけで英語がだいぶ読めるようになりました。
知っている単語が増えていく。
小テストで高得点を出せたら嬉しい。
それを先生は見てくれている。
成績が分かりやすくあがっていく。
いわゆる成功体験で、他の教科では久しく経験したことがなかった喜びでした。
グレワンに上がってからも英語の成績は伸びていき、
やがて得意科目と呼べるようになりました。
理系の大学を受験して合格したのですが、
数学と物理と英語の配点が同じだったので、
数学と物理がいまいちでも、
英語が出来ていたからなんとか受かったのだと思います。
理系なら理系科目で頑張らないといけなかったのですが、
英語に助けられました。
直接お礼は出来なかったけれど、
あの先生のおかげだなと思っていました。
勉強ばかりの6年間、なんとなく閉塞感のあるような受験期の中で、勉強面白いかもと思わせてくれた。
別に先生はそこまでの熱意を持っていなかったのかもしれないけど、あのとき英単語の学習を強いてくれたこと、この先生に認めてもらいたいと思わせられたのが全てに繋がるきっかけでした。
そして、大学1年のときに先生は亡くなりました。
同級生から訃報の知らせの電話がきたのは、
スポーツの授業が始まる前の時間だったと思います。
「◯◯先生死んだらしい、葬式があるけど行く?」
と言われ、
何が何だかよくわからず戸惑いましたが、とりあえず「分かった」と言い、電話を切りました。
頭では理解が追いついていなかったのですが、
気づいたら涙が出ていました。
死因はわかりませんでした。
教えてもらおうとも思わなかったのですが。
同級生に「実は俺◯◯先生のことけっこう好きだったんだよね」とは言えませんでした。
本当は隠さずに言えたらよかった。
周りにも先生本人にも。
先生がもし生きていたら今頃どう過ごしていただろうか。
定年を迎えてゆっくりされているだろうか。
私は結局、先生のおかげで受かった大学は辞めてしまいました。きっとそんなことを伝えたら先生はやっぱり最近の若者はと失望するでしょう。
でもその後も、英語への苦手意識のなさは私の武器になることが何回かありました。
だから、ありがとうございました。
別にあのとき他の学校から来た教師が先生じゃなかったとしても、私が他のきっかけで勉強のモチベーションを出して同じ結果になっていた可能性はあるけど。
でも今こうして先生の教えだったり姿を思い出して、
出会えて良かったと感じている。
それだけでも、あの学校に通った〔意味〕があるのだと思います。
学校だったり会社だったり、
人生は様々な場所で時間を過ごします。
楽しく過ごせるときばかりではない。
合う、合わないはあって、いっそのこと辞めて離れたほうがいいときもある。
もっと別のことすればよかったとか、
違う時間の使い方すればよかったとか後悔する人もいるでしょう。
しかし時間が経てばそこで出会った人だったり物だったりの意味が立ち上がってくることもあります。
今日もどこかで誰かと誰かが意味のある出会いをしている。
相手の人生を聴くということは、そういうものを大事に扱うことなんだろうなと思う。
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