悲しみの周り
人と関わることによって傷つき、
人と関わることによって回復する。
生活も人生もそのような繰り返しである。
ただ、
昔のように感情が大きく揺れ動かなくなってきている。
それは自分にとっては精神的に気楽なことでもあり、どこか寂しいことでもある。
そして自分や他者に対する一種のあきらめは、どこか悲しさを伴っている。
「悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせないもやもやを 誰かに告げようか」
中学受験のために小学六年生の時に入った学習塾の個性的な先生の、
当時発売されたばかりのipodを嬉しそうに触っていた姿が今も脳裏に残っている。
塾では、ザ・フォーククルセダーズをよく聴かされたものだ。
算数の小テストで8点を取ってしまったとき、
なんで◯◯は、走れエイトマン♪なんだ?とイジられた。
古すぎるのかどうかも分からないくらいおそらく古いネタばかりが塾の中を飛び交っていた。
わけもわからないが、塾長が聞かせてきた音楽もギャグも妙に頭に残った。
少林サッカーも見せられたなぁ。
今思うとなんと押しつけがましい昭和の塾長だったのだろう。
我々は90年代生まれの子どもだというのに。
あのとき勉強は別に好きではなかったのかもしれないが、今でも塾長の顔や言葉が思い出せるということは、面白い1年間だったのだろうと思う。
臨床心理学を学んでから北山修先生がザフォーククルセダーズのメンバーであったと知り驚いた。
塾長は私の人生に伏線をはっていたのだろうか。
よく聞かされたフォークルの曲は、
あの素晴らしい愛をもう一度
悲しくてやりきれない
イムジン河
の3曲だった。
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この歌詞はフォークルの曲の中でも特に頭に残っていた歌詞である。
そして今でもふと頭のなかで歌っている。
私の根底には常に何かに対する悲しみと、それをなんとか消化したい気持ちがあるのかもしれない。
悲観しては、そんなことないはずと自分に言い聞かせながら生きてきた。
そしてこれからも悲観と楽観を行き来しながら人と関わっていく。
人は誰しも主観で生きている。
相手にもまた主観があるのだということを時に忘れてしまう。
自分が自由でいる権利があると思うなら、相手をコントロールすることだけを望んではならないと思う。
分かりあえないように感じるこの悲しみや寂しさを生きるとはどういうことなのか。
そんなどうせ答えのない、
と言ったら真面目に追求している人たちに失礼だけれど、
つながりを求めながらも終わることのない孤独も抱えていることに時に気づいてしまう、
そんな平凡なカウンセラーの告白を、たまにはAIでなく人間に告げようか、と思う。
悲しみがあること、
悲しみに気づけないこと、
気づいた悲しみを語れないこと。
私が抱えるこういう問題を持ったクライエントときっといつか臨床で出会うのだろう。
いやきっとこれまでの臨床で随分と見逃してきてしまったのだろう。
やりきれないもやもやを告げるということ。
投げられては受け取り、
投げては受け取ってもらうということ。
人と関わるという普遍的な営みにはそういう側面がある。
まだ言葉が成立していない息子の寝顔を見て安心しつつ、
自分は言葉巧みな大人のフリして生きている。
それでも今回も、結論が出ない。
無理に出さなくたっていいやと思う。
これを読む誰かももしや似たような心境だったりするのだろうか。
今は一緒に廻っておこう。
そして常套句に立ち戻る。
ひとりで抱え込まないで相談してください。
安易には言えないはずのひと言。
必要な人に届けばいいのだがと思いながら、
人生で、仕事で、人とこれからも会っていくつもりである。
初めてビリヤニ食べました。表参道にて。
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