分人主義的マインドマップ②
前回の「分人主義的マインドマップ」という記事を、
分人主義の考案者である平野啓一郎さん本人がSNSでシェアして下さり、
そのおかげで多くの方に読んでいただけたようです。
誰に向けて書いているのやら分からないままブログを続けていたので、嬉しいことです。
急にアクセスが増えたので驚きました(笑)
今回は、もう少し詳しく、
対人関係による分人ということについて考えてみたいと思います。
多くの人に見られるなら、もう少し綺麗な紙に丁寧にマインドマップを描けばよかった、と後悔しているのですが、
内容についても少し物足りない部分があります。
たとえば、前回の分人マップでは、
「家族」という太枝に、父、母、姉という枝を書いて終わっていますが、
実際にはそんな単純なものではないはずです。
つまり、
「父と母といるとき」
「父と姉といるとき」
「母と姉といるとき」
「家族全員でいるとき」
の分人が実際にはそれぞれ存在しているはずなのです。
大家族の場合は書ききれないほどのパターンがあるでしょう。
対人関係ごとに分人がいる、というと、
1対1の関係性だけを考えてしまいがちですが、
“この人とこの人の組み合わせ”だと大人しくなってしまう
だとか、
“この四人が揃う”といじられキャラになってしまう
ということは往々にしてあるわけです。
これは、登場する他者がそれぞれ重要であるときに、起こることが多いと思われます。
初めて会う相手同士の組み合わせなら、
それが1体1だろうが2対1だろうが、さほど変わらない、「初対面モードの人見知りの自分」ですが、
これが例えば中学校時代の友人と大学時代の友人の組み合わせだとしたら、
それぞれに分人化がすでに起こっている(その相手に対するときだけの自分が存在している)ため、
どちらの分人化をすれば良いか分からなくなり、新しい分人化が起きます。
たとえば、中学のときの陰気なイメージの自分を大学の友人には見せたくなく、
大学での明るいイメージの自分を中学の友人に知られたくない...
というような複雑な状況を想像すればなんとなく分かるかと思います。
先ほど登場する他者が重要であるときにと書いたのは、
それぞれに特別な分人化が起きているという意味です。
新たな組み合わせ、すなわちグループ交際によって新たな分人が生まれ、育まれた結果、
この三人でいるのが一番楽しいなんてことも起きてきます。
最初は気まずくても、徐々に分人と分人が混ざり合うということなのでしょうか。
いや、そんなに単純ではなく、
結局は3人以上の「社会」で生まれる様々な相互作用によって作られていくものなのでしょう。
前回の記事で、本当はもっと細かく枝分かれさせて分人マップを描けると書きましたが、
このような多様な組み合わせによる複雑な分人化も考慮すると枝分かれが進むと思われます。
ただし人によっては、
家族でいるときは全部同じ自分、
どんな組み合わせだろうが変わらないという人もいるかもしれません。
それはそれでどんな相手に対しても裏表が無いということと関係していそうで、健全な形なのかもしれませんね。
最後に話は変わりますが、
分人マップを描いた後にチェックすることとして、
・どの分人が一番多く生きられているか(時間的配分)
・そのときの分人の体感・感情はどうなっているか
ということを前回挙げましたが、
考えられる点はそれだけに留まりません。
たとえば、
どの分人とどの分人が似ているか
ということを考えてみるのも面白いです。
それは分人のこと、つまり自分のことを考えているようで、
その分人を生み出す他者のことを比較することになります。
あの人といるときの居心地の良さを、
この人との分人も持っている。
そんな風な気づきが、他者の長所や有り難みに気づくことにもつながるかもしれません。
分人化ということについては日々考えているため、
書きたいことがまだまだありますが、
今日はここまでにします。
また次回。
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