こころの集まる場所

この3月まで、

3年間、スクールカウンセラーとして働いていました。


今でも思い出せるのですが、

勤務拠点校となる小学校に初めて事前打ち合わせにドキドキしながらお伺いしたとき、

玄関に大きなホワイトボードが置いてあり、そこに

「スクールカウンセラー◯◯先生 本日はようこそお越しくださいました 校長室へお入りください」

と書かれていました。

でかでかと自分の名前が書かれていることに恥ずかしい気持ちにもなったと同時に、

少なくともこの学校に自分は受け入れられているらしい、と感じました。

当時の校長はとてもパワフルな男性で、いかにも子どもが大好きな元気な校長先生という感じの方でした。

声量も大きくてやや圧倒されました。

後から考えるとあの先生の明るい性格は確実に児童たちにも伝染しており、それは先生が退職されてからもその学校全体が醸し出す明るさ・活力に影響を与えていたように思います。

子どもは教職員のことをよく見ています。

大人たちの心は子どもたちの心に直接伝わります。

自分もそのうちの1人なんだと認識できるまでにはやや時間がかかりました。

この3年間で合計5つの小中学校に勤務しましたが、振り返るととても多くの教職員と出会いました。

中には苦手だな、冷たいなと思う教師もいましたが、それと同じくらいもっと話したいな、温かいなと思う教師もいました。

教師も人間なので個性があって当たり前です。

3年間働いた今では、良い意味で教師のイメージは覆されました。あぁ、案外「ふつうの人間」も多いんだな、って。だからふつうに悩んでいるし、ふつうに疲れているし、でもふつうに子どものこと好きだし、ふつうに頑張ってる。


たしかに心理職が学校という組織に馴染むのは大変でした。特に、あまり自分から積極的にコミュニケーションをとれるタイプではない私にとっては(わりと心理職にはそういう人は多いと思います)心身ともに消耗する日々でした。

子どもと話すよりも大人と話す方がよっぽど疲れました。

先ほど書いた小学校はとてもSCに対してウェルカムな雰囲気ではあったのですが、同時にSCへの期待(SCなら解決方法を知っているに違いない、SCは大学院まで行って子どもことに詳しい偉い先生なんだ、など)も強い職場でした。

他のある学校では勤務日に教頭先生からお茶とお菓子を出されました。あぁ自分はこの学校にとって「お客さん」なんだと思いました。もしかしたらこの居心地の良さは自分が偉い人のように接してもらっているからでしかなくて、

よく言えば外部性(学校の外からくる人だからこそ相談しやすい、学校の人間関係に巻き込まれにくい)が保たれているのですが、実はチーム学校には入れてもらえてないのではないかというような感覚もしました。


正直言って私はスクールカウンセラーになることについてかなり不安になっていました。

SCは大変だ、SCは臨床の応用編だという噂は聞いていたので、新米心理士で知識の乏しい自分が果たして適応していけるだろうかという不安でした。

SCは時給が良いので、非常勤の掛け持ちで生計を立てるためにはやらざるを得なかったというのが本音です。

本当ならやりたくなかった。

なぜなら私は子どもと遊ぶのに疲れるタイプだと思っていたし、学校って元気を押しつけてくるものだというイメージがあったから。

といっても自分自身はというと小学生時代は明るい性格だったと思います。誰とでも仲良くできたと思うし、楽しかった。悩みなんかなかった。

だからこそ私は、令和の子どもの悩みというものに共感できるだろうかと疑問でした。また、まだ若いので、保護者たちの悩みにもうまくのれるだろうかというプレッシャーもありました。


実際、1年目はかなりキツかった記憶があります。

切実なのが分かるんですよ、お母さんたちや担任の先生たちの悩みって。

それに応えるだけの知識や技量と器が全然足りなかった。

出来ることはただ話を聴くことだけでした。

でもそれではなかなかニーズは満たせなかった。

そんな自分が嫌になりましたが、いや大変なの分かってて飛び込んだ世界なんでしょうと思ったり、いやまだ新人なんだからこんなもんで仕方ないでしょうと諦めたり、叱られるのが怖くて研鑽を避けたりしていました。

3年間やった今では、本当に必要なのは焦って知識や技量を披露するよりもむしろまずは「ふつうに聴くこと」だよと言えるのですが。


少子化時代にしては大規模校だったので、単純にケース数が多くて、とにかくあらゆる面で鍛えられました。支持・傾聴はもちろん、インテークの仕方、アセスメント、タイムマネジメント、リファーの視点など、本当に実践しながら覚えていったという感じです。

でも実は大規模校でのカウンセリング予約枠が詰まっている忙しい1日よりも、小規模校でのカウンセリング予約も行事も何もない1日の方が辛かった。

小規模校でのSCとしての立ち回りは自分としては失敗体験です。うまく学校に馴染めませんでした。きっとその理由をいま詳細に分析することもできるのですが、簡潔に言えば教師とも生徒ともコミュニケーション不足だったと思います。

SCの仕事はカウンセリングだけではありません。でも私たち心理職はやはりカウンセリングを心理臨床だと思いこんでしまいがちだと思います。カウンセリングに依存するのはクライエントの方だと考えがちですが、実は心理職の方がカウンセリングに依存しているという側面もあるのかもしません。

でも自発的な来談がない場合は何をしたらいいのかという壁にぶつかると、問われる。自分がこの学校にいる意味って?

本当はもっと考えて行動すべきだったと思います。

つまり、人々のメンタルヘルスに貢献するという心理職としての本質を。それをもっと考えていれば、例えば給食で生徒と好きなアニメの話をしたり、職員室で雑談に混じったりすることだって意味のあるものだと自信を持って出勤できたかもしれない。

この失敗体験を失敗のままにするよりは、学びとして消化したいし、これまでの人生でも私はそうしてきました。

自分に甘いのかもしれませんが、失敗は失敗として、やってみて初めて気づいたこともあるのだから、まぁ後退ではなくて前進なんだと思いこんでいます。自分はこういうことは苦手なんだと確認することは決して不毛な時間ではないと思いたいのです。もちろん、克服できたらいいのでしょうが。


とにかく色んな学校へ行って色んな経験をさせてもらったのは自分の人生の中でもかなり貴重な時間だったのではないかと思っているのは本当です。

私は大学院でも成人のクライエントしか担当していなかったので、子どものカウンセリング・プレイセラピーに勝手に苦手意識を持っていたのですが、

実際に現場に出てみると教育領域でも医療領域でも子どもに会わずに臨床をしていくことはできませんでした。

SCでの3年間、いま書いていて色んな子どもの顔が脳裏に思い出されているのですが、

子どもたちとの会話や遊びは大切な思い出として今後も忘れないだろうなと思います。

結局のところこの仕事は、本よりも研修よりも、目の前のクライエントから学ぶことの方が大きい。例えば児童と別れるときに「先生ありがとう」という手紙を受けとること。例えば保護者に「来月も相談にきてください」と伝えたのにその後二度と来なかったこと。援助職をやっていると時にはそんなことが起きるということは頭では分かっていても、実際に自分が体験することで分かる境地があるようです。それが援助者自身の感情的体験を伴って、臨床経験といつか呼べるものになっていくのだろうと思っています。


やや長くなりましたが、

私はSCという仕事、しばらくはやりたくないなと思いますが(疲れるから。。。)

「こんな自分でも、やれなくはないな」という少しの自信、

「なるほど臨床の応用編と言われる通り、深い深い仕事だな」という気づきを得て3年間を全うしました。

SC一筋で10年、20年とやっている人たちからしたら、

たった3年で生意気なと思われる考察だったかもしませんが、

自分としては本当に濃密な時間でした。


あ、思えば私は、学部では教員養成の大学に通っていたので、

未来の教師たちと一緒に大学生活を過ごしたのでした。

自分は心理か福祉に進むと思っていたので学校なんて関係ないやと当時は思っていたかな。

彼ら彼女らは今頃どこかで立派に先生をやっているのだろうか。

中学の同級生でも教師になった友人もいます。

ずっと会ってないけど、次に会ったときには何か深い話ができる気がします。


さて、4月からまた新しい領域で頑張ります。

んー、あれだけ不安で億劫だったSCがなんとかやれたんだから、

なんとかなるでしょう!たぶん。

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