研究について
研究とは何だろうか。
卒業論文を出す。修士論文を出す。
それは卒業(修了)するためにやらなきゃいけないことでした。
自分が学生のとき、周りに論文制作を楽しんでいたような人は殆どいませんでした。
むしろやっぱり皆、就活やら実習やらバイトやらで他にもやらなきゃいけないことがある中で、研究なんて重荷に思っていたような気がします。
私はというと、卒論のときは壮大すぎるテーマを掲げてしまい、
あぁでもない、こうでもない、と試行錯誤して取り組んだので、
楽しんでやったという記憶はあまりないです。今思うと充実していたのですが
「悩めない」というテーマについて「悩みまくる」という、ある意味滑稽というか、
面白い状態だったなと思います。
対して修論のときは「悩まない」というテーマについてさほど「悩まずに」取り組みました。
正確に言えば「悩まない」というテーマを掲げたつもりはなく、「あきらめる」ことについて研究したのですが、
これらの言葉をかなり近い意味として自分は考えているのだと後から気づきました。
「あきらめる」という言葉にはネガティブなニュアンスもありますが、
実は「受け入れる」とか「ゆるす」とか「手放す」とか「仕方ない」とかの態度と近くて、
決してネガティブでない、かといってとても前向きというわけでもない、
しかし精神的に適応を保つことにおいて実は大事なものなのだという結論に至りました。
それが近年の心理療法の分野で注目されるマインドフルネスやアクセプタンスとも相性が良くて、割と臨床的に意義を主張しやすい修士論文になったという感じがしました。
有り難いことに卒論の研究についても修論の研究についても、
それぞれの指導教員が学会発表したほうがよいと助言してくれて、
学会発表がどういうものなのかよく分からないまま発表しました。2017年と2021年のときです。
学会発表は一応研究業績に書けるので、現在の職場に履歴書を出すときに書くことがあって助かりました。
なにより研究を発表するということは、さほどハードルの高いことなのではないなと感じることはできました。
しかし思い返すと2017年のときは個人的には休職など非常に困難で不安定な状況での発表だったこともあり、万全の状態で研究に取り組めていたのかどうか分かりません。
一方で、このブログを始めたのも2017年であり、「書く」とか「表出する」ということでなんとか保っていたという記憶もあります。
また、2021年のときはまだまだコロナ禍であり、学会発表といってもオンラインでの発表てした。
オンラインでの良さは今では理解できるものの、
修論で既に出来上がっているものを「載せるだけ」という感覚もあり、
(もちろん資料を作るのにそれなりに時間はかけましたし、指導教員にサポートもしていただいたので、まったくの楽勝だったと言うつもりはありませんが)
どこか手応えがないというか、心理士1年目で仕事のことで精一杯だったこともあり、
あまり研究に意識が向いていなかったと思います。
それっきり学会は退会してしまいました。
それから4年間は研究のことは全く考えずに過ごしてきました。
今、時間や体力には決して余裕があるとは思えないのですが、なぜかまた研究のことを考え始めました。
いやなぜかというか、色々と理由は言語化できているのですが、
様々なタイミングや縁が重なり、もうやるしかないなというフェイズ、ゾーン?に入ってしまった。
ただ卒論や修論と違って、今回は締切がない。シンプルに言うと「別にやらなくていい」。
少なくとも現在の職種の業務は研究ではないので、
研究してもしなくても給料は変わらないし、叱られない。
なんだけどやろうとしている。そんな自分から逃げてはいけないと思っている。
逃げてはいけないというこの感じが、葛藤と対峙するということでもあり、
「悩める」自分とその時を生きるということなのかと思います。
ここでの葛藤とはなんだろうか。
おそらく、シンプルに臨床家であればよかったところに、
研究者・教育者であることという課題が入り混じってきたことからくるものでしょう。
卒論では「悩めない」こと、修論では「悩まない」ことを研究しました。
それに対していま考えたいことは「悩める」ことなのかと思います。
つまり悩むということはやはり人間を作っていくのに大事なのではないかとどこかで感じている。少なくとも自分にとっては大事でした。
そして今、「悩み」を抱えた人たちと毎週会っている。それが仕事で、私の専門性です。
だから「悩むこと」について研究することは、今や自分だけのためのものではなくなりました。
学生の頃と違って今はもっと現場に根ざした問いを立てられるはずだと思います。
カウンセリングとは何をすることなのかについて説明するのは本当に難しいのですが、
ひとつはその人それぞれの「悩み方」を深く理解し、伴走することかと思います。
「悩めない」のまま見守るのか、「悩まない」技術を伝授するのか、「悩める」ようになるまで支え続けるのか。
それはきっと何が良いのかクライエントによって違うかと思いますし、
結局のところ絶対的なアプローチがあるのかはまだ結論が出ません。
なので...もう逃げずに研究します。
というか今しか出来ないことをやるしかない。
それがまたいつか自分に返ってくると期待して。
いくつか研究を計画していますが、
今、好きなコトについて、研究と絡めて書き始めたものがあります。
好きなコトを研究と結びつけたのは初めてかもしれないです。
学術的な論考に至らせることは簡単ではないのでしょうが、
やはり好きなコトについて考えるのは楽しいです。
というか研究と呼べるものになっていくのか自信がないのですが、学会発表を目指します。
4年ごとに発表してるなぁと今気づきましたが、
できればこれからは毎年1つは発表できるようになりたいですね。
研究って楽しいものだっけ?とふと思いましたが、
楽しくないとやれないかもしれません。先ほども述べたように、
もう学生ではないので、あくまで自発的にやっているので。
硬いことを言うなら、研究も臨床心理士の責務のひとつではあると言われますが、
実際のところ何らかの内的・外的モチベーションがないと難しいでしょう。
自分の場合はきっと「認められたい」という欲求も強いのだと思います。
前に続けられないことへのコンプレックスというタイトルで書きましたが、
とにかく山頂に着くまで(とりあえず一合目)は「あきらめず」に続けることだと思います。
1つ形になったら、ここでご報告します。
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