今もう一度、Good Will Huntingを見る

今度、軽く自己紹介をしなければならない予定があるのですが、

他の皆の自己紹介を聞いていると、ずっと続けている趣味や習い事があったりして、

純粋に感心したり、自分にも何か一つ自慢できる取り柄みたいなものがあればなぁと思います。


私はミーハーで、熱しやすく冷めやすいところがあり、

一つのものにどっぷりハマって飽きたら次のものにまたどっぷりハマり、また次へ…

ということを今まで繰り返してきました。

中学生の時はマンガばかり読んでいたし、

高校生になるとお笑いと映画と欧州サッカーにハマり、

それ以降は海外ドラマばかり見ていた時期があったり、一日中ラジオを聴いたり、

20代前半でやっと活字に親しむようになり本を買い漁り、本屋で働き、

近年だとウイスキーにハマったりもしました。

ころころと興味関心が移るこの性格が嫌になったりするときもあるのですが、

でもおかげで関心分野が広がったということもあります。

勿論、一つのことを人生にわたって長く続けている方に比べれば、浅いとは思うのですが、

ハマっている時の熱中度は結構高い方だと思います。


最近は、あまり何かにどっぷりハマるという時間的な余裕はないのですが、

昔読んでいたワンピースや進撃の巨人をもう一度読み返したり、

好きだったものの再発見ということをしています。


そこで、ずっと離れていた「映画」という趣味をもう一度味わってみようと思い、

先日ある映画のDVDを引っ張り出してきて、鑑賞しました。

それが「グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~」という映画です。

この映画は、記憶が正しければ、

当時から映画好きの友人から教えてもらった映画で、

私が洋画にハマるきっかけになった作品でした。

これを観た後に主演のマット・デイモンが好きになり、

彼の他の作品を見漁ることから映画生活が始まっていったように記憶しています。


高校生の頃は、世の中の知識がないだけに今の自分みたいに頭でっかちでもなく、一言でいえばピュアでした。

あの頃は、色んな作品からその奥深さや意味を、きっとストレートに感じ取っていました。

ただそれを表現するための語彙も言語化する力も少なかったのですが、

言葉というものを手に入れたがために思考がすぐにあれこれ勝手に語り出す今の自分よりも、ずっと感性豊かだったような気がします。

そんなあの頃にふと戻りたくなって、私が最初に「映画ってすごい」と感じた「グッド・ウィル・ハンティング」を約10年ぶりに観ようと思い立ったのでした。


ストーリーのあらすじ(以下Wikipediaより引用)

フィールズ賞受賞者でマサチューセッツ工科大学数学科教授のジェラルド・ランボーは、数学科の学生たちに代数的グラフ理論の難問を出す。世界屈指の優秀な学生たちが悪戦苦闘する中、いとも簡単に正解を出す者が現れた。その人物は学生ではなく、大学でアルバイト清掃員として働く孤児の青年ウィル・ハンティングであった。
ランボーはウィルの非凡な才能に目をつけ、彼の才能を開花させようとするが、ウィルはケンカをしては鑑別所入りを繰り返す素行の悪い青年だった。ランボーはウィルを更生させるため様々な心理学者にウィルを診てもらうが、皆ウィルにいいようにあしらわれ、サジを投げ出す始末。ランボーは最後の手段として、学生時代の同級生ショーン・マグワイアにカウンセリングを依頼する。ショーンはバンカーヒル・コミュニティ・カレッジで教壇に立つ心理学の講師で、ランボーとは不仲であったが、ウィルの更生のため協力することになった。
ショーンは大学講師として表面的には健全な社会生活を送りながらも、最愛の妻を病気で亡くしたことから孤独に苛まれていた。事情を知らないウィルは当初ショーンをからかっていたが、やがて互いに深い心の傷を負っていることを知り、次第に打ち解けていく。さらにハーバード大学の女学生スカイラーとの恋を通して、ウィルは自分の将来を模索する人間へと徐々に成長していく。


私が初めて胸を打たれた映画のテーマになっていたのは、

奇しくも今現在学んでいる「カウンセリング」であり、「セラピストとの出会い」というものでした。

そしてこの作品には、

カウンセラーとクライエントの“信頼関係“、

カウンセラーの“自己一致(純粋性)”、

カウンセリングという営みの枠を超えた“人間臭さ“が詰まっていると今になって思います。



カウンセラーのショーン役を演じたロビン・ウィリアムズは、

この映画でアカデミー賞助演男優賞を受賞し、その後も俳優・コメディアンとして活躍しましたが、

2014年に自殺で亡くなったと報道されました。

作中で演じたショーンはカウンセラーでありながら一人の人間として問題を抱えていました。

そんなショーンの人間味、ときにむき出しになる感情、

そしてウィルの持つ子どものままの心との交流が描かれているのがこの作品なのですが、

ロビン・ウィリアムズ自身、長年アルコール依存症やうつに苦しんできた人物で、

それはショーンという役の存在感にどこか説得力をもたせる事実でもあるように感じます。

ショーンの父親がアルコール依存症であったという旨のセリフは、単なる役作りのための設定に留まるものでなかったのではないでしょうか。

自殺という最期を迎えたことは残念に思いますが、

彼が残した演技はこの作品のみならず多くの作品を通して世界中の人々の心に影響を与え続けることと思います。



私が高校生の頃は、主人公のウィルに感情移入して、

エンディング近くでウィルと一緒にカタルシス的な涙を流したものですが、

しかし、10年後の今の自分がこの作品を観ると、

むしろカウンセラーとしてのショーンの立場からウィルという若者を見ていたり、

もっと俯瞰した視点で眺めるようにストーリーを追い、一人ひとりの登場人物の心性を静かに見ていることに気が付きます。

同じ作品でも、10年経ってから見ると全く違う見え方がするもので、

映画(に限らず漫画や小説など、作品と呼ばれるもの全てにおいて言えると思います)

というのは、人生の一時点で感動を与えられて終わりではなく、

何度も違った楽しみ方ができるものなんだということを実感しました。

だから心を深く揺さぶられた本やCD、DVDは、

一旦飽きたとしてもなかなか捨てることができないのです。


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