私と双極性障害②~スティグマからの逃避~

前回の記事では、

双極性障害について得られている基本的な知識について、

そして私自身の診断の過程について触れました。


今回の記事からは、

私が双極性障害と診断されてから、それをひとまず受け容れられるようになるまでのことを書きます。

どなたかの参考になれば幸いです。


双極性障害と診断された2018年の夏、

医師に言われたことは、一言一句覚えているわけではありませんが、

覚えている自分の心の反応が2つあります。


それは、「双極性障害という病名で、やっと自分の苦しみが理解できるかもしれない」

という何か報われたような思いと、

「双極性障害は、一生治らないらしい」

という事実に対するショックともとまどいとも形容し難い、複雑な思いです。

後者はすぐには出てこなかったかもしれません。

診断された直後は、むしろ前者の方が強かったような気がします。


皆さんの中には、病名を告知されることが「かわいそうなこと」とかネガティブなことと想像しやすい方がいらっしゃるかもしれませんが、

病名を知らされるということは、ときに、

患者にとって曖昧な状況から抜け出せる一筋の希望に繋がることもあると思われます。

とくに精神的な症状というのは周りにとっても本人にとっても目に見えるものではなく、

だからこそ「気の持ちよう」だとか「なまけているだけ」「自分が弱いからいけない」という思考に陥りがちです。

でも一方で苦しいのは事実で、信じられるものがない感覚になる方もみえるでしょう。

そんな、自分のことが<分からない>という曖昧な状況から来る言語化できない苦しみを長く抱えてきた人にとっては、

病気だと専門家から言われることはときに一時的な安堵のようなものを与えるものでもあるのです。


もちろん、病を告知されて、手放しで喜べるわけはありません。

精神疾患やメンタルヘルスに対しての世間の偏見(「スティグマ」)は根強いものがあり、患者自身もスティグマを持っていること(「セルフスティグマ」と言います)は往々にしてあります。

その場合、自分だけはかからない、かかりたくないと思っていた病にかかってしまった、という事実に直面することになり、多くの人は落胆するでしょう。

私はその1年前にすでに「うつ病」と診断され、初めて精神科を受診するという経験を終えていたため、双極性障害と診断されたときにはそのような感情はすぐには湧いてきませんでした。うつ病と診断されたときには、絶望感や不安や罪悪感が入り混じった、なんとも言えない感情が診察室で溢れ出てきたのを覚えています。ただでさえ重いうつ状態にある時ですから、それは衝撃の大きい瞬間です。


そんなことで、抗うつ剤はすぐに中止され、

双極性障害としての薬物治療が開始されました。

双極性障害に関する本も、すぐに2冊買いました。

しばらくは薬の副作用も辛く、薬の変更や投与量の調整が行われ、

やがて現在の服薬パターンに落ち着きました。

ちなみに、躁や軽躁は長くは続かず、

上がれば上がるだけその後の落ち込みはひどいものが待っているのが通常です。

実は私も11月頃にはかなり危機的な落ち込みがありましたが、

クエチアピンが効き始めてきたことと、

またなんとか仕事に毎日行くことで規則正しい生活習慣が身についたことが功を奏し、

冬が終わるまでには気分は低めで安定してきました。



しかし、安定はしていましたが、何かを考えたりする力や、豊かな感情や心の動きが落ちていることにも気がついていました。

当時の仕事内容も割と単調なもので、生活に味気がない感じもありました。

表面的には、3月までは仕事場でも適応的に働き、4月から大学院に通い始めてからも適応的に過ごしていました。

でも、その中で自分の中に、言語化以前のモヤモヤした気持ちが流れていました。

今あえてそれを言語化するとするならば、

それは「本当に自分は双極性障害なのだろうか」という疑念でした。



診断されたときには報われたような思いがしたのにも関わらず、

薬を飲み続けて徐々に社会に適応的になってくると同時に、

自分の不適応的な面や、「なぜこの薬を飲んでいるのか」ということを忘れてきてしまっていたのです。

実際、当時の私には、これは双極性障害の薬で、自分に必要なのだという意識はまったくありませんでした。ルーティンとして寝る前に薬を飲むだけ。

医師からは「双極性障害はいずれ治るものと考えるよりも、糖尿病みたいに、薬を飲み続けてずっと付き合っていくことが必要です。」と言われていました。

双極性障害を糖尿病や高血圧になぞらえて説明することはよくあることのようです。

確かに、そう伝えられることで、「そうか、この病気になったことでそんなに落ち込むことじゃない。薬を飲み続ければいいんだ。」と思えるというプラスの側面はあるでしょう。

しかし、糖尿病や高血圧と双極性障害の違いは、私はスティグマという問題が大きいと思います。

もちろん糖尿病も大変な疾患でしょうが、糖尿病だと自己開示することと、精神障害を自己開示することが、人間関係や就職に与える影響に明らかな違いはないでしょうか。


私は当初、自分の病気は糖尿病や高血圧と同じだと考えることが服薬の助けになっていました。

でも一方で、その考えは、スティグマの強い精神障害を患ったという事実と向き合うことを先延ばしさせていたのも事実です。

症状が改善し、適応的に生活し始め、自分は障害者だということを隠して生活する方が楽であったために、双極性障害のスティグマと直面することから無意識的に逃げていました。


その証拠ともいえるように、私は診断されてすぐ買った双極性障害に関しての2冊の本を、

ほとんど読むことなく、視界の外に放置していたのでした。

懸命に読んでくれていたのは、むしろ同居する母の方だったと思います。


そして、やがて私は、薬を飲む意味を見いだせなくなりました。

気分は安定してはいるが、本当に薬が効いてそうなっているのだろうか、という疑念も出てきました。

そして、5月、ある出来事がきっかけで将来に不安を感じることがありました。

その時、否定的な思考が連鎖し、

自分は双極性障害ではなく、単なる“心の弱さ”ではないか?もしくは適応障害なのではないか?

という考えに支配されました。


私は、私の病名を知っている数少ない友人の一人に、その疑念を話しました。

「軽躁状態って、寝ないでも活動できるとか聞くけれど、自分はそこまでの状態ではなかったと思うんだ」と友人に話すと、

友人から、「お前あのとき、ほぼ寝てないって言ってた時期あったよ」と返ってきました。

一瞬、自分のその過去の発言も、そう記憶している友人のことも疑いました。

恐ろしいことに、私は軽躁のときの生活はあまりリアルに思い出すことができません。

ですがいくら軽躁状態であっても寝ていないなどという嘘をその友人につく意味もなく、友人の記憶力の良さも知っていたので、それがおそらく事実であろうということはまもなく理解できました。

「双極性障害ではないのではないか」という自分の疑念は強まっていましたが、

その友人からの情報によって、およそニュートラルな気持ちになりました。


今、大学院に通っているのは、臨床心理士・公認心理師を目指すためです。

その道に進む上で、この障害をどう認識して、付き合っていくかということは避けて通れないことで、

いずれ向き合うときがくるのはきっとずっと前から分かっていたと思います。


私は、本当に自分が双極性障害なのかどうか知りたいと思いました。

診断時に抱いた、「双極性障害は、一生治らないらしい」という2つ目の思いに、

今なら向き合うことができそうな気がしました。


そして、私はセカンドオピニオンを受けることを決意しました。

丁度うつ病と診断されてから2年、躁転してから1年後の出来事でした。


次回の記事で、セカンドオピニオンの経験について書きます。

書き出したはいいものの、何個の記事に分かれることやら。。。



(フィンセント・ファン・ゴッホ 『星月夜』)

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