私と双極性障害④~航海士兼サーファーというあり方~

目次

・セカンドオピニオンから2ヶ月経ち・・・

・2ヶ月間の過ごし方を振り返る

・治療とwell-beingの関係

・魅力的な敵とどう向き合うか

・海で生きていくということ


セカンドオピニオンから2ヶ月経ち・・・


双極性障害のことについて三つの記事を書いてから、1ヶ月が経ちました。


あれからも色々と本を読んでみたり、
他の双極性障害の方の書くブログなどを読んでみたり、患者会に行ってみたりもしました。

私は前回の記事で、
波のある人生だからこそバランス感覚を鍛える必要があるし、
鍛えられたバランス感覚は自分のアイデンティティにもなりうる、と書きました。

放っておくと振り回されるこの病に、
肯定的な面を見いだすためには、
そう思うことが“新米双極性障害患者”の自分には必要でした。

また、双極性障害の治療は、発症を一回で抑え、ずっと予防していくことだとも書きました。
ただそれは、精神科医などの治療者の言葉であって、私の本音から出たものではありませんでした。
もちろん治療者たちは、患者のためを思って言っていることではあります。
私は大学院で臨床心理を学ぶ身ですから、

あらゆる疾患について最善の治療のあり方を、これまで得られている知見から謙虚に学んでいく必要がありますし、

心理教育の重要性がフォーカスされるようになった現代においては、
正しい知識を得て、それを伝えていく責務も臨床心理士・公認心理師が担っていくことだろうと思います。 

しかし同時に私は当事者の立場でもあります。
「再発は危険ですから、コントロールしていきましょう」と言うときの自分は、
どこか当事者としての気持ちから切り離されてしまっているような気もしているのです。


二ヶ月間の過ごし方を振り返る


私はセカンドオピニオンを受けて、

ちゃんと病識を持つようになってから約2ヶ月間、
自分なりに症状をコントロールするために努力してきました。
毎日大学院に通う生活を維持するためには、
寛解期を続けることが必要だったからです。


2ヶ月間、どのように過ごしてきたかをここに書いておきたいと思います。


私はまず、
薬を飲み忘れないために、
23時30分になったら薬を飲むと決めました。
実際には時刻はきっちり守られていませんが、
時刻を決めておくことで忘れにくくなります。
同居人にも見える位置に薬を置き、
寝る前に飲んだら、日めくりカレンダーをめくるようにしました。
【23時30分】と【薬を飲む】と【カレンダーをめくる】(1日を終える儀式にもなる)を互いに条件付けしておきました。
それから、ある双極性障害の方の記事を読み、
スマートウォッチ(活動量計)がセルフモニタリングに有用ということを知ったので、
真似して、Amazonで安価なタイプを買いました。
スマートウォッチは数万するようなものもありますが、私が買った中国製の数千円のものでも、
睡眠時間や歩数、心拍数、血圧などを勝手に測ってくれます。
スマートフォンのアプリとBluetoothで連動させることで、記録を管理することが可能です。
1万円以上の機種と比較すればさすがに精度や機能が劣っているのだと思いますが、
数年前には考えられなかったコストパフォーマンスです。

リマインダー機能もあるので、
23時30分になったらバイブと共に薬のマークが表示されるように設定しました。
おかげさまで薬を飲み忘れることはありません。


更に、Excelを使って、自分に合った記録表“オリジナルバイポーラーシート”なるものを作りました。記入例を貼っておきます。

・起床時間・就寝時間・睡眠時間合計

・気分(-2~+2)

・起床時疲労感(起きづらさ)・就寝前疲労感

・その日他者から受けた刺激の強さ

・特記すべき出来事

を、2ヶ月間、毎日記録してきました。

まだ2ヶ月ですが、これは効果がありました。

気分が+1の日があれば行動を抑制したり、

疲労感が出てきたら意図的に休養したりという対処が可能になります。

双極性障害には薬物療法に加え生活リズムを整えるということが有効という知見は、

おそらく正しいのだと思います。

また、自分にとって何がストレスになるかは、分かっているようで分かっていないものもあります。

以前からやっていましたが、日記は毎日スマートフォンのアプリでつけています。

いちいち分析せずに、何があったかを書いておくだけでも、後から見たときに役立つことがあります。


①薬を飲み忘れない工夫
②睡眠時間をスマートウォッチに測ってもらう
③セルフモニタリングの結果を記録していく

この3つが、
私の今の安定した生活を支えていることは確かです。
もちろん周りの方の支えもあるのですが、
自分でできることは今のところこれくらいです。

しかしふと、
これを一生続けるのかと思ったときに、
その先に想像したのは、
気分を-1から+1に抑え続ける人生、
気分0を目指して、
自己管理人間になる未来でした。


治療とwell-beingの関係


ここからがこの記事で書きたかったことです。

もし毎日0が続いたら、
それは果たして楽しいと思える人生なのかと思ってしまう自分もいるのです。

私が言った「バランス感覚を鍛える」というのは果たして0を保ち続けることを意味していたのかと。
違うのでは?

私は双極性障害という病名を受け入れるところまでは到達したけれど、
どう付き合って生きていくか、
そこに関してはまだ葛藤の途中なのだと思いました。


前提にはもしかしたら、
“気分の波は私にとって敵である“という考えがまだあるのかもしれません。
実際それによって生活を脅かされる危険が常にあり、ひどい鬱も躁も経験したことがあるのだから、それに恐怖するのは当然のことだと思います。

敵だから、戦わねば。
そのためにあらゆる武器を使わねば。
その武器というのが薬であったり、自己管理であったりするわけです。

気分の波をコントロールするには、
100点を目指さず、60点くらいで生きていきましょうということもある本には書かれています。
それを聞いて、素直に「よし、分かった」と思えるでしょうか。
思えたとしても、その後ずっと、なんの疑いも持たずいけるでしょうか。
私にはそれがひっかかっていました。

100点(これは業績や他者からの評価のみならず、主観的な充実感や幸福感)を出したことのある患者にとって、
60点で生き続けることは、
どこかで物足りなさや質素さを感じさせるかもしれないと思います。

躁状態の自分の心地よさが忘れられず、
薬を無断でやめたりしてしまうことがあると本には書かれています。
とても理解できます。
特に躁ではなく軽躁程度で、そこまで大きな社会的損失は無いということになるとなかなかそのリスクを理解することができない方もいるかもしれません。

また、気分障害にはお酒は悪影響なので、
断酒しましょうと医者から言われる患者は少なくないと思います。
医者も意地悪で言っているわけではないでしう。
飲酒と気分の関連は明らかだからです。
ただ、元々お酒好きな患者にとっては苦痛なことでしょう。
それでもストイックに自制しておられる方も多いと思います。

双極性障害の患者が見る可能性があるこの記事で、飲酒の話題を出すことがリスキーであることは承知しています。
ただ、ここは患者のQOL(クオリティオブライフ)やWell-beingに関わることだと思っています。

病に対して治療や対処をすることと、
より良く生きることはイコールではないからです。

気分屋としてそれなりに山あり谷ありで生きてきたと思ってたのに、
それは障害ですと言われたところで、
それをコントロールしていく方向にすぐにシフトチェンジできるかと言えば、
なかなか難しいというか、一筋縄ではいかないハードルがそこにはあります。

魅力的な敵とどう向き合うか


結局のところ、
この気分の波とどう付き合っていくのが、
自分にとって価値のあることなのか。
この病によって、誰を傷つけてしまうのか。
私はこのところずっとこのことについてぼんやりと考えています。


気分の波は、たしかに怖い敵なのだけれど、
ただの敵じゃなくて、
“魅力的な敵”であるというのがやっかいなところです。

世の中には躁や軽躁のエネルギーを業績に変えてきた人もいます。
歴史上の人物でも、画家のゴッホや作曲家のシューマン、政治家のチャーチルなどもこの病だったと言われています。
シューマンの作曲数を年単位で見ていくと、
躁状態にあるときに多くの作品を生み出していたことが示唆されます。
では双極性障害はむしろ才能ある人たちなのか、精神病理と天才は紙一重だなどと一般化するのは私は極端すぎる考えだと思っています。
この気分の波を大きな業績に結びつけられる人は一握りですし、
ゴッホやシューマンがそれで果たして幸せな人生を送っていたか。どんな最期を迎えたかは無視できません。
また、著名人が障害をカミングアウトすることは、近年、それほど珍しいことでもなくなってきました。
もちろん社会的地位のある著名な人や憧れの人が同じ病を抱えていることは、大きな意味で救いにもなります。
彼らの中にはきっと、「障害があってもこんな風に生きてるよ」というメッセージが持つ功罪の両面性を覚悟した上で発信している人も多いと思います。同じ病であっても「そんな風」にまではなれない人の方がマジョリティーだからです。
偏見を減らすという意義もあるのでしょう。
実際、当事者が声を上げなければ、社会の誤解を解くことは難しいです。
LGBTの流れを見ると、それを強く感じます。


私は自分が双極性障害であると知り、

そして、世界中に同じ病を抱えている人がいることを知りました。

それは何か世界と繋がれたような感覚をもたらし、地平が広がり、

実際に共感できる文章を見つけたり、実生活で役に立つ情報を彼らから得ることができ助かっています。


でも、
じゃあ自分はどうやって生きてくかというのを最終的に決めるのは、
治療者でも、同じ病を持つ仲間でも、ゴッホでもなく、

自分なんですよね。



ゴッホより、ふつうに、ラッセンがすき。←これ名言


つまり自分の価値観というのも大事だなぁと。


双極性障害は現代病ではなく、
太古からある病です。
タイムマシンがないので確認しにいけませんが、
きっとリチウムの効果が発見されるよりずっと前の時代にも、
破滅を迎えずに工夫して生きていた人が存在したのではないかと私は想像します。


薬物療法を私は否定していません。
それどころか薬は私の現在のお守り的存在です。


でも、薬が私を飲んでいるのではなく、

私が薬を飲んでいるのです。


病だから薬を飲まなければならないと決まっているのではなく、
私が薬を飲むことを手段として選んでいるという観点は重要なように思います。


こんなことを考えながら暮らしている中で、
先日、ある記事に出会いました。


この記事は、本当に参考になりました。
著者はこの記事以外にも、双極性障害の生活をマンガと文章を使って描かれています。
長文でだらだらと書く私のスタイルとは違って、直感的に分かりやすく、読みやすいです。

この記事には、
まさに私がもやもやと考えていた、
病との付き合いかたということについていくつかの方向性が示されていました。
さらにどれを選ぶかはひとりひとり違うということが書かれていて、

それ。それなんだよな。と独りで頷きました。

海で生きていくということ


私が1ヶ月前に「バランス感覚を鍛える」と書いたのは、
言うなれば、サーファーになるということでもありました。

人にはその人だけの世界があります。
だれかはそれを「こころ」と呼びます。
目の前には海があって、波もある。
だれの世界にだってすぐ側に海はあって、
いつもは陸にいるんだけど、そこに遊びに行くことができる。
ただこの病を持っている私たちは、常に海の上にいるようなものです。
陸と海の境目が、よくわかりません。
静かな波のときもあれば、嵐のような波に遭難しそうになることもあります。
海の底に深く沈んで、もう這い上がってあの太陽を見ることはできないのでは、なんてこともあります。
私たちはずっと海で生きてきて、これからも海で生きていくので、
段々、海の性質を学んでいくことができます。
海の性質を知れば、いずれは立派な航海士になることができるかもしれません。
大きな波が近づいているな、とか、逃げれば助かるな、とかが、分かるようになります。
荒波から距離を取って、別の海域に移動するには、乗り物がいります。
実は世界は一つではありません。人の数だけ世界があって、私たちは他の人の世界を見学したり、他の人をこちらの世界に招待したりすることができます。
自分よりも海での生き方に詳しい人やうまい人がいて、たまにその人たちの船に乗せてもらうこともできます。
それから、自分だけのサーフボードを持って、波を楽しむということもできます。
だれかはそのサーフボードを、「価値観」とか「アイデンティティ」と呼びます。
耳を澄ませば海鳥の声が聴こえる、
平和な海も落ち着くものですが、
たまには荒い波の上をサーフィンするのも一興です。
もちろん、最初は下手なので、うまく乗れないこともあるかもしれないです。
でも、楽しむことも苦しむことも含めてサーフィンしていけたらいいなと、
私はいま、思っています。
広い海のどこかに小さな孤島があるのなら、
いつかそれを見つけたいなとも思います。


航海士兼サーファーという“あり方”。
生きることはdoingでありbeingです。
それが支援者であり患者であるというダブルバインドを抱えた私が行き着いた、
いま提出できる精一杯で、等身大の答えです。

海のベテランたちからしたら、
まだまだ甘い考えなのかもしれませんけど。

また考え方が変わったら、そのとき書きますわ。
読んで下さり有り難うございました。

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