Write and Recreate

先日、「note」を始めてみました。


noteはSNSの一種で、Twitterとも似ていますが、

より表現の幅が広く、クリエイターに向いています。

note(ノート)は、文章、写真、イラスト、音楽、映像などを手軽に投稿できるクリエイターと読者をつなぐサービスです。ブログのように使うことも、SNSのように使うことも、コンテンツを販売することも自在に活用いただけます。(note ホームページより)

このブログは2年前からはじめて、

更新が途絶えてしまった時期も何度かありましたが、

最近少し軌道にのってきた感じがしています。

また途絶える時は一瞬で途絶えるんで夜露死苦。


どちらかというと、これまではずっと、

不特定多数に見られることを意識するより、

自分の考えを整理するためにこのブログを使ってきました。

勿論、誰かが見てくれているということが励みにもなるのですが、

それ以上に自分のためでした。

一番の読者は自分なんです。


思えば私は文章を書くということが昔から好きで、自然とやってきたことでした。

高校生くらいのときにもホームページを作って、仲の良い友だちに見せていたと思います。

承認欲求だったのかなぁ。当時何を書いていたか記憶が定かではないのですが、まぁ日記レベルだったような気がします。


「書く」という作業が、純粋に楽しいだけのものではなくなったのは、

大学に入ってからでしょうか。

大学院に通っている今でもそうですが、

大学や大学院というのはやたらレポートが多いですよね。

勿論社会人になってもありとあらゆる報告書を出す機会は有り続けるだろうと思うのですが、


大人になればなるほど、文章には「論理性」「客観性」が求められるようになります。

大学の時のレポートが今でもパソコンの中に保存されているのですが、

今見てみると、論理性の欠片もなくて、笑ってしまいます(あの時の俺ごめん)。


「書く」という作業は誰もがどこかで通るのではないかと思います。

小学生の読書感想文から始まり、

小説が好きな中高生は自分で小説を書いてみる、なんて人もいるかもしれません。

大学に入る時には小論文の書き方を学ぶ人も多いですよね。

作文とは違う!序論・本論・結論!ということを叩き込まれます。

文章には構造、枠、作法というのがあるんだ、と知ります。

大学に入ったらレポートを出せと言われ、卒業するためには多くの学科では卒業論文を書かなければならない。

私が卒業した心理学科では、「問題と目的」「方法」「結果」「考察」「参考文献」という順を追って書いていきました。

単なる文章ではなく、研究ですからね。

私も大変でした。そして私にはこの後、修士論文という難関が待っています。(おそろしや)

就職活動のときには履歴書を書きますね。これもひとつの文章を書く作業です。

「自己PR」にすべてをさらけ出すにもいかず、自分の長所を切り取って、あるいは無理やり作り出して文章にします。私はこれが苦手です。


振り返れば、書くことを楽しんでいた時期、
書くことに追われていた時期、
書くことに自信を持っていた時期や自信を失っていた時期、
いろいろあったなぁと私自身は思います。



成長すると共に、文章を書くという作業に求められるハードルは高まっていきます。

でも、本来文章を書くというのは、

誰かに提出する、評価されるというものだけじゃないと思います。

これ忘れがちです。


私がこのブログをはじめたときに、

学部時代の指導教員にブログを始めましたとメールを送った時、このようなことを言われました。

「書く」という行為には、ものすごく大きな力があります。書くことは、既に自分の中にあるものを表出することではありません。それ以上に、「書きながら新しく発見する」ということが大きいように思います。


この言葉を貰ってから、私は「書く」という作業に新しい面を見出すようになりました。

私は文章を書くことが好きだったのに、どこか論理性や客観性ばかり求められる生活の中で、

書くことは苦痛なことのようにも思えた時期がありました。

というか、最近もレポートに追われていたのでなかなかしんどかったのですが。


とにかく一言でもいいから書き出してみる。

それは紙のノートでもいいし、オフラインのパソコンでも、このようなオンラインの場所でも良い。

すると、書く前に自分の意識上にあったこと以上のものが生まれてくるということがあります。

今まで書いてきた記事は、ほぼ全部、

書いた後でタイトルをつけてきました。

こんなこと書くつもりなかったけど、なんか書いちゃったな。ってことあります。

自分が書いているようで、何か“無意識くん”とでも言うヤツに書かされているかのようでもあります。(言い過ぎか?)

とりあえずそれにタイトルをつけて、「今考えられるのはここまで!」と、

そのテーマを自分の中におさめるのです。



後から見て恥ずかしい文章になってしまうことなんて多々あります。

実際非公開にしたものもある。

今書いているこの文章だって後から自分が見たら消したくなるかもしれない。


でも、でもね。

今ある問題については、今あるキャパシティーでしか表現できないし、今あるキャパシティーでこそ表現できるのです。

(それは語彙だったり、悩みと直面する力だったりする)

Here and Nowという言葉がありますが、

過去の自分にも未来の自分にも、これと全く同じ文章は書けやしないのです。



このブログをはじめたときは、実は人生でも一番苦痛な時期でした。

その時に、なんとか文章にして“枠”におさめたことは、

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私の命をつなぎとめました。

そんなこともあったから、書くということに私は特別な意味を持っているのだと思います。


別に無理やりオチをつけなくたって、

論理的でなくたって、主観的でしかなくたって、

書くのが好きなら書けばいい。と思います。

書いたあとで気持ち悪くなったら消しても良い。


表現することは恥ずかしいことでもあります。

あまり自由にすると、自分の見たくないものを見てしまう(曝露)リスクもあります。

発信すれば、誰かを傷つける可能性も、批判を受ける可能性もあります。


それでも私は、表現をするということはどこかで自分を癒やす効果があるのではないかと思っています。



noteを始めて、自分の記事が読んでいただけることも嬉しいのですが、

世の中には自分よりもっと文才があったり、絵がうまかったり、写真を載せていたり、

全然ちがう価値観や表現方法を持っている人がいるんだなぁということが知れて、それが楽しくもあります。

小学生の頃私は漫画家になりたいと思ったことがあるので、

漫画で表現している人を見ると尊敬の念をいだきます。


色んな方の表現を見て刺激されたので、

自分にとっての表現方法である「書く」ことついて、今日は書いてみました。


タイトルどうしようかな。

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